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2年

忘れられないあの日から2年。

この世のすべてのことが僅かでも変化し、

もはや何一つ同じではないけれど、

覆された多くの常識や当たり前、

あの時感じた全ての思いを

決して忘れることなく心に留めておきたい。

私に出来ることなど何もないけれど、

この事実を知る一人の人間として、

せめて出来る唯一のことかもしれません。

本当の意味での復興が一日も早くなされることを

心から祈っております。

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コメント

3月11日は、私にとって、一生忘れられない日です。それは、1年前の今日、私と愛妻が結婚した結婚記念日だからです。良く、友人から、なんでこんな日に結婚したのかと聞かれますが、「地震雷火事親父」になぞらえて、亭主関白になりたいからだよと返しますが、実際は、親父の喪が明けた後、お互いの親戚の都合を調正していたら、この日が一番、出席できる日だったのです。勿論、不謹慎という後ろめたさもありましたが、昭和から平成になるときに、結婚式も、旅行も、何もかも自粛という時代があり、だからこそ逆に、自粛をしないで前向きに行こうという動きもありました。だから、私も、前向きで明るい事、むしろ発展的な事、おめでたい事もいいのではないかと思いました。しかし、結婚記念日の今日、会社の上司も同僚も、部長も社長も皆、黙祷をしていました。「結婚は人生の墓場」というからねというジョークを一人、胸の中にしまい、私も、目を閉じて、手を合わせました。でも、3月11日に結婚した事で、二人でいられる有り難さを実感し、助け合っていく絆が強まったように思えます。

投稿: 歌謡博士 | 2013年3月11日 (月) 23時22分

自然災害と原発人災の複合震災。過去の地震災害のどれより悲惨なできごとでした。福島県は、双葉郡がほとんど人の住めない、せつないことになりました。原子力の平和利用といっても、こうした甚大な結果を産むことを思い知らされながら、まだ逼迫する電力事情から、おそろしい放射線頼りの懲りない為政者。批判はしませんが、麻薬のような原発です。自宅にも採集した放射性鉱物が、いくつかありますが明らかに挙動が、他の鉱物とちがうのです。人間の力で制御できないエネルギーを志向するのは、大津波の再来を無視した海底鉱山構想や海洋発電プランと同じで、やりきれないものがあるのです。

投稿: みなせあやこ猫〔みゅん〕と保護子猫たち | 2013年3月12日 (火) 05時35分

いやはや、もう2年が経ったのですが、現地はあまり復興は進んでないようです。丁度私たち親子はお店の中で随分と振幅幅の大きい地震が5分くらいつづいたでしょうか。あの時より数年前に苫小牧の出光のタンクが燃えた地震を越えているなと直感しました。まさか、私が生きている間に東北三陸の大津波が起きるとは素人ながらりに想定外という不適切な言葉が思い浮かびました。亡くなられた方々のご冥福を改めてお祈りいたしました。まだ2500人近い人が行方不明ということです。つらいですね。でも過去に縛られてはいけません。前を向いて今生きている人達と生きていることに感謝して毎日元気に過ごしたいですね。

投稿: KANO親子 | 2013年3月12日 (火) 19時30分

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